江花 純 ( えばな じゅん )[気象予報士]

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誕生日 1969年9月29日
育った町 東大和市(~1997)、中野区(1998~)
血液型 A型
趣味&特技 登山、水泳
現在の業務 【開発業務】気象情報配信、お天気コンテンツ企画開発
【連載】雑誌『岳人』コラム「晴れた日に山へ」東京新聞出版局
過去の実績 【出演】「スクープ」「ANNニュース」(テレビ朝日)、「TBSニュースバード」(CS)
【原稿】フジサンケイビジネスアイ「気象予報士のビジネスチェック」「世界の気象とビジネス」
出身校 立教大学理学部
前職 障害者施設「第3山鳩の家」(東村山市)で働いていました。

思い出の天気図

思い出の天気図

1989年6月25日

登山サークルに入って間もない大学1年生の時、私は1泊の八ヶ岳山行に参加しました。食糧計画からルート選択まで、全ては上級生が綿密に計画してくれます。もちろん天候の判断も上級生の役割で、下っ端の1年生はついて行くだけです。

その山行は3年女子2名と私を含めた1年男子2名の計4名で、深夜0:01発の上諏訪行きを待つのに、19時か20時頃には新宿駅の中央線ホームに集合したと思います。山行に参加しない部員は見送りに行く慣習があり、当日も先輩同輩が何人か来てくれました。

ところがちょっと様子が違います。見送りに来る先輩方は口を揃えて「本当に行くの?天気悪そうだよ。」と言うのです。3年女子2名のうち1人は、山行が中止になるものと思い込み、荷物は持ってきたものの普段着でホームに現れました。天気図なんて全く見ていない私は、すごく不安になりました。しかし山行では”リーダーが絶対”です。リーダーが「行く」といったら行くのです。どちらかというとタカ派の3年女子リーダーの英断?で、その山行は中止になることはありませんでした。山行初日の天気は忘れて今いましたが、主峰赤岳に登った日の天候ははっきり覚えています。快晴です。眼下には雲海が拡がっていましたので、下界は曇りや雨だったのかもしれません。お昼過ぎには下山しましたが、上諏訪は真夏のような暑さでした。

当時はネットなんて普及していませんでしたし、パソコンを持っている人は圧倒的に少数派。携帯電話もありません。気象情報はテレビや新聞の天気図と、177で聴く気象台の予報、山で描くラジオ天気図だけです。しかも、予想天気図となると、どう入手したらいいのか…。気象についての知識も、素人に毛が生えた程度だったと思います。(だから必死に天気図を描いたのでしょうね。)ほぼ誰もが悪天を予想していたのに、真逆の天気に遭遇したわけです。その時のリーダーも、好天を予想していたわけではなかったでしょうし、気象の知識も「低気圧や前線=雨」ぐらいだったと思います。ラッキーな誤算だったので、その後、顧みることもありませんでしたが、この仕事に就いてから、あの時の山行の決行は、そんなに無謀とも思える判断だったのか、すごく気になりました。

出発時に入手できたであろう最新の天気図が、6月23日(金)午前9時の天気図で、おそらく台風6号の九州直撃を予想していたのでしょう。梅雨真っ只中で、前線に加えて台風も接近という、一般的には大雨パターンの天気図です。この時点で日曜日の晴天を予想するのは当時は無理だったと思いますが、今なら可能かもしれません。実際に24日(土)には長野や静岡で100ミリ以上の雨が降っています。我々が主峰に登頂した25日(日)の天気図をみると天気の回復は一目瞭然です。当日の諏訪の最高気温は27.5度。長野では31.9度まであがって、そのシーズン初めての真夏日となっています。

江花 純

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